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沖縄戦のトラウマ 保坂廣志

沖縄戦のトラウマ - 心に突き刺す棘

 保坂廣志 著 A5版 310ページ

  印刷版(POD)   2,808円   アマゾン  直 販

沖縄戦のトラウマ

 沖縄戦からやがて70年、この戦争は人間の罪過を撃つ膨大な記録を生みだし、「命こそ宝(ヌチドウタカラ)」という教訓を生み出した。反面、沖縄戦は沈黙の岩盤と呼ばれ、生存者多数が本当の戦争話を自分の心の奥深く幽閉してしまった。
 悲惨で残酷・無慈悲な戦場で死体に何も感じず、涙も出さなかったのは、そうすることが生存への力となったからである。しかし、そうした心の麻痺は戦争トラウマとなり戦場から生還した人々の夢に侵入し、幸福感を追い出し、大小の暴力を生み出す元凶となった。
 20年余にわたり戦争トラウマを調査した沖縄戦研究者が、             日米の膨大な記録の分析、戦争現場のアウトリ-チ、形の復             元等を通して、戦争の心の闇に迫る。

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はしがき

戦争トラウマに関わって長い歳月が経過した。この間、国の内外で大きな事件・事故が発生したが、その都度心の傷とかトラウマという言葉が流布された。これは、出来事の発生に際し、当事者意識をもっていち早く相手の心のケアに関わろうとする我々意識を表現したものだろう。医学的立場からすれば、トラウマ用語は安易に使用されているきらいがあると批判されるかもしれないが、個人や社会の危機に対し声を大にしてトラウマを叫ぶのは意味のあることだろう。心の傷と言えばなにかしら大迎な感じがするが、トラウマと表現すれば事態を受け入れやすく、危機介入には有効な方法たりえるからだ。反面、戦争トラウマとなると、話は変わってくる。沖縄の高齢者介護センタ-には、笑えないお年寄りの戦争話が詰まっている。「敵が来た」や「弾が飛んでくるぞ」などは許容範囲内で、やがて「伏せろ、伏せろ」から「逃げろ、逃げろ」に話は変わる。その時、介護者や医療関係者は一斉に付近に身を隠すか、退避動作をなそうとする。今まさにお年寄りの“ 感情近辺 ”で敵砲弾が炸裂したわけで、安穏と戦野に身を露わにしてはならない。お年寄りの記憶の噴火の先には、確かに恐怖が横たわっており誰も現場では安泰ではいられない。全員逃げるのだ。

さて、私は本書において戦争トラウマに関わる話をはしょらず、叫びは叫びとして、痛みは痛みとして迷わず書き込むことに決めた。書き手である私は、戦争によりいかに人は傷つき倒れるのかを記そうと長期にわたり心がけてきた。しかし、どうしても戦争話には打ち負かされ、踟ちゅうしてしまう。それで、気がつけば沖縄戦を戦争トラウマから語ればどうなるかいつしか考え始めていた。戦争の類書は、いつも 5W1H に忠実だ。いつ、どこで、誰が、何を、どうしたか、そしてその結果はどうかである。戦争がいつやって来て、どう展開されたかなどそんなにきれいに割り振れるものなのか。沖縄戦がいつ終わったかなどは、戦争体験者の数だけあるというが、同じように戦争話は、経験者の数だけ存在しよう。その中で、戦争は戦後も引き続き形を変えて個人に起こっているといえば、人は信用するだろうか。

戦争トラウマを戦争体験者の戦後に被せると、この命題は生きているのがよくわかる。同じ戦争話をひたすら話し続ける体験者は、今の時代にあって「証言者」とか「証人」、はては「生き証人」などと存在そのものが形容されるしまつである。しかも話の中身が戦争であることを考えると、それはトラウマの語りであり、人がいかに死ぬかの話である。戦場の針穴から生還した者たちにしかできない、おどろおどろしい話を生涯かけ話し続けるのは残酷すぎることである。反面、トラウマの語りは、戦争の聞き手を見いだしたあかつきには人に大きな感銘を与えるものとなる。聞き手が話者の戦争トラウマを発見し、そこにトラウマの語りと聞き手のコンパッション(共感・共苦)が合流することになる。これを専門的には「心情の知性」と呼んでいる。その意味で私が本書を刊行するのは、心情の知性にもたれかかりつつ、将来の戦争トラウマを発生させないという「警戒の義務」を強めるからである。

最後に戦争トラウマを巡る筆者の関心事は、いわゆる社会学的見地から見たトラウマであることを付言しておきたい。特に共同体とトラウマが関心領域である。話(わ)や論(ろん)の展開上、医学的見地を援用し戦争トラウマ領域に介入せざるをえないが、基本はあくまで共同体にかけられたトラウマ研究にある。論展開に医学的誤りがあるとすれば、その責任は偏に筆者にあることをお断りするものである。

なお、戦争トラウマを扱う上で、どうしても人の記憶の深奥に触れざるを得ず、ために極度に残酷・無慈悲な語りを扱わざるをえなかった。また関連写真も、人の死を扱うだけに厳しいものを選んだが、これらは人間が行った行為を示したものであり、人間がなしえた結果でもある。戦争トラウマの語りは、コンパッションできる受け手を見いだせば限りなく相手に寄り添い、浸潤していくものである。トラウマ記憶に触れれば、当人も傷つくということもありえるだろう。それでも私は、その場合の語りは相手に「心理外傷」(二次被害)を与えるものではなく、共に<ある>ことを求めるものだということを訴えたい。戦争に傷つき、トラウマに苦しむ人に寄り添い、ともに記憶の戦場を見据える生き方を学びたいものだ。その上で、戦争トラウマの語りは、戦争を排して平和に与する人間本来の叫びであることが理解できるだろう。

もくじ

はしがき
第 1 章 沖縄戦の心の傷(トラウマ)とその回復
 はじめに
 1.1 「そこに光あれ」の世界
 1.2 戦争トラウマとは何か
 1.3 沖縄戦と戦争神経症
 1.4 沖縄戦生還者と戦争(戦後)のトラウマ
 1.5 戦場記憶と声の復活
 1.6 共同体とトラウマ
 1.7 トラウマの回復
 おわりに
 脚 注
第 2 章 沖縄戦の記憶 - 戦争トラウマとその「かたち」
 はじめに
 2.1 戦争証言の位置
 2.2 戦争トラウマは語り得るか
 2.3 米兵と戦争トラウマ
 2.4 証言に見る沖縄戦のトラウマ
 2.5 証言に見る「心的外傷後ストレス障害」
 2.6 「かたち」に見る戦争トラウマ
 おわりに
 脚 注
第 3 章 沖縄戦と米軍兵士の戦争トラウマ
 はじめに
 3.1 米国の戦争神経症研究
 3.2 沖縄戦と米兵の戦闘神経症
 3.3 沖縄参戦米兵の戦後
 おわりに
 脚 注
主要参考文献
あとがき

著者紹介

 保 坂 廣 志(ほさか ひろし)}
   1949年 北海道生まれ
   1974年 東洋大学社会学部応用社会学科卒業
   1976年 東洋大学大学院社会学修士課程修了
   琉球大学法文学部講師、助教授、教授を歴任
   現在、沖縄戦関係を中心とした翻訳業に従事
   著書 戦争動員とジャ-ナリズム(1991、ひるぎ社)
      争点・沖縄戦の記憶(2002、社会評論社、共著)
      日本軍の暗号作戦 (2012、紫峰出版)
      陸軍 暗号教範(2013、紫峰出版、共編)
      新教程 日本陸軍暗号(2013年、紫峰出版、共訳)
      沖縄戦下の日米インテリジェンス(2013年、紫峰出版)

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