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船舶団長の那覇帰還行 伊藤秀美

船舶団長の那覇帰還行

伊藤秀美 著 A5版 206ページ
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  ISBN:9784990615703(ダウンロード)、9784990615703(印刷版)
  2012年4月10日刊

船舶団長の那覇帰還行

太平洋戦争末期、米軍の沖縄侵攻直前に渡嘉敷島を訪れた
第11船舶団長大町茂大佐 特攻艇の部隊を率いて那覇への
帰還を試みるが…
島の集団自決の伏線となったこの事件の真相を当時の軍資
料および新たな証言に基づいて解き明かす。




ま え が き から

 1945年3月、太平洋戦争は最終局面を迎え、米軍の沖縄侵攻作戦が始まろうとしていた。このとき沖縄守備の任にあったのは牛島満中将が指揮する第32軍である。その中に、小型ボートに爆雷を搭載したマルレとよばれる特攻艇の部隊があった。 その任務は上陸部隊を乗せた米輸送船団を上陸前に撃滅することである。海上挺進戦隊と呼ばれるこの部隊は、沖縄本島に4個戦隊、宮古島に1個戦隊、沖縄本島から西に約20~40km離れた慶良間列島の座間味、阿嘉 、渡嘉敷の3島に各1個戦隊が配備されていた。 第11船舶団長としてこれらの海上挺進戦隊を指揮する立場にあったのが大町茂大佐である。

 大町団長は沖縄戦で勲功を立てたわけではない。慶良間列島視察中に米軍の侵攻が始まり、急ぎ沖縄本島へ帰還する途中で戦死する。指揮下にあった海上挺進戦隊は期待された成果をあげることなく沖縄戦は終わるのである。大町団長の戦死がなければと思いたいところだが、多くを期待できる状況ではなかった。

 なぜそのような人をとりあげるのか。大仰に言えば陸軍の船舶部隊というあまり良く知られていない組織の指揮官の行動を通して沖縄戦を見てみたい、有体に言えば大町団長の不可解と思える数々の行動の謎を解きたいということである。

 最後の滞在地が渡嘉敷島であったことから、この島の集団自決を扱った曽野綾子氏の 『ある神話の背景』にも大町団長は登場する。ここでの行動も不可解なのである。米軍の慶良間列島侵攻直前の3月25日のことである。午後8時にこの島の戦隊長だった赤松嘉次大尉は舟艇の1/3の泛水を命令、午後9時半に那覇への転進命令受領、その後全舟艇の泛水を命令。午後10時に大町団長が赤松隊本部に到着。大町団長は転進命令を知らず、泛水中止を命令し、団長の那覇護送を要求。紆余曲折の末、全舟艇の本島転進による団長の那覇護送に決定し、再び泛水を下令。しかし出発準備が完了したのは夜明け前。もはや米軍に発見されずに沖縄本島への帰還は不可能と、大町団長は全舟艇の揚陸を命ずるが間に合わず、結局揚陸できたのは2隻、他は自沈させることになった。

 敵に発見されずに那覇に到達するには、夜明けのかなり前に渡嘉敷島を出発しなければならない。これが無理であることが判明した時点で、準備できた舟艇だけで大町団長の那覇護送を行なうか、あるいは護送を断念して全舟艇の揚陸を命ずるかが妥当であろう。なぜ夜明け前まで泛水作業を進めさせたのだろう。また、泛水作業が遅れたのは、渡嘉敷島に残留する基地隊の隊員が沖縄本島に転進する挺進戦隊に反発し、ゼネストに出たのが理由のひとつという驚くべき言及が『ある神話の背景』にあるが、これを含め米軍の妨害等を考慮に入れても、25日の午後8時から始まった泛水作業の完了が翌日の夜明け前というのは時間がかかり過ぎてないか。大町団長の命による泛水中断の影響が大きかったことになろうが、果断を旨とする軍人が、状況を把握し本島への護送手段を決めるのにそれほど手間取るものかどうか。

 大町団長は26日夜残った特攻艇2隻で渡嘉敷島を出発し消息を絶つが、28日には渡嘉敷島では住民の集団自決事件が発生し、赤松戦隊長はその責任を問われた。曽野綾子氏の『ある神話の背景』は赤松氏を擁護しており、これは住民側の証言などと真っ向から対立するものである。一方『ある神話の背景』は主に軍側の資料あるいは主張によっている。 氏の立論が説得力を持つには、軍側の資料から見た妥当性が求められる。しかし、ここに疑問が投げかけられる。実際『ある神話の背景』において、この本に5年余り先行する公刊戦史『沖縄方面陸軍作戦』や赤松戦隊長自身が復員時に復員省に提出した報告書とのいくつかの大きな齟齬を指摘することが出来る。

 資料はこれまで赤松戦隊長周辺をソースにするものがほとんどで、公刊戦史もまたこの難を免れない。客観性を保つためには異なる立場の人をソースとする情報が必須である。本書では、大町団長に随行した船舶団司令部の石田四郎少尉、阿嘉島から渡嘉敷島へ大町団長を護送した阿嘉島の第2戦隊の宮下力少尉、大町団長一行の阿嘉島から渡嘉敷島への護送に関して、 阿嘉島の防衛隊員の関わりを知る少年義勇兵だった垣花武一氏、また阿嘉島で大町団長に接触した第2戦隊の通信小隊長だった柴田収二少尉、こうした人々の手記及びインタビューなどを使用する。これらの資料は公刊戦史では使用されておらず、特に、宮下氏と垣花氏のものは本書が初出である。

目 次

第1章 舞 台 
 Ⅰ 1944年春
 Ⅱ 大町大佐
第2章 特 攻 艇 
  I 誕生まで
 Ⅱ 隊の編成
 Ⅲ 攻撃方法
 Ⅳ 艇の秘匿
 Ⅴ 決死か必死か
第3章 着 任
 Ⅰ 船舶部隊の充実
 Ⅱ 大町大佐の着任
 Ⅲ 大町大佐とマルレ
 Ⅳ 防衛強化と部隊再編
 Ⅴ 情勢判断
第4章 視 察
 Ⅰ 石田手記
 Ⅱ 視察団
 Ⅲ 阿嘉島
 Ⅳ 誤報騒ぎ
 Ⅴ 阿嘉島から那覇へ
 Ⅵ 転進電文
 Ⅶ 転進電文(2)
 Ⅷ 護送かつ転進
 Ⅸ 3度目の挑戦
 Ⅹ 後日譚
第5章 『ある神話の背景』
 Ⅰ 転進電文(3)
 Ⅱ 戦隊命令
 Ⅲ 基地隊のゼネスト
 Ⅳ 干潮・満潮
 Ⅴ 漁船かクリ舟か
大町神話 ─ あとがきにかえて
付録A 部隊再編
 Ⅰ 独立歩兵大隊
 Ⅱ 防衛隊
 Ⅲ 特設水上勤務隊
付録B 到着時刻
 Ⅰ 団長の行程
 Ⅱ 諸資料の比較
付録C 回想の整理
 Ⅰ 対照表
 Ⅱ 資料③④⑤
付録D 漂着再考
資料A 宮下手記
資料B 垣花手記
資料C 辻版陣中日誌
補注
文献
別表1 陣中日誌(3/14~3/25)
別表2 陣中日誌、日記(3/23~3/27)
別表3 史実資料(慶良間諸島)
別表4 戦況手簿(地上、航空、海上戦闘状況 3/23~3/27)

著者紹介

伊藤秀美(いとう ひでみ)
 1950年三重県生まれ 
 1973年東北大学理学部物理学科卒業 
 1978年京都大学大学院博士課程中退 理論物理学専攻 
 防災関係の仕事の傍ら戦史を研究
 著書 検証『ある神話の背景』(2012,紫峰出版)

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